眠っているもの

久しぶりなのに、今日はメモるようなブログ。
昨日、少しだけ出会いたかった自分に遭遇した。
それはまるで彫刻家が像を彫り起こすようなイメージに思えた。
一体どれほどの時間を要してきたのだろう。
自分のこころと声が一致する場面にもっと出会いたい。

チケット

昨日、帰りのフライトに搭乗するのに必要なチケットを無くした夢を見た。
わたしからの応援のメッセージ「決めたことを遂げなさい」と。。
そして、大切にしていた思い出の人が旅立ったとの知らせが届いた。
思い出の場面が次々現れて、うれしかったかすかな記憶に覆われる。
人が生きるって、一生を全うするってどういうことなのだろう。
ずっと閉じ込められてそして閉じ込めてきた自分にようやく気づいて、
引き揚げて前進して、本当に楽しいときってなんなんだろう。
きびしい愛。やさしい愛。そんな簡単に形容できるものじゃないもの。
わたしはまだその経験を自分のものにしていないのだ。
忘れないで。チケットを持っている。5年後のわたしのため。
よりよいいのちになりたいから。

ちょっとしたことで

久しぶりのブログなるもの。
ひとが一日のうちものを意識して考える回数と言うのはなんと7万回あるとかないとか。
でもその中で同じ思考が繰り返されているのも事実。
自分でハンドル握ってその意識を操作できるかどうか?
そしてそれが上手くできたら別の世界の景色を見ることができるのか?
操作という単語はここで用いるのはすこしふさわしくない気がする。
相対するものへの意識の向け方、感情の働かし方。
そこに目を向け自分の姿を俯瞰してみる。
もしくは相手の「努めている」ことに気持ちを注いでみる。
そのこころの行動をとることでいつもある世界が違って見えてくる。
ひとそれぞれの一生懸命。
はっきりと目に見えないもの。時にこころで感じとることが難しいもの。
つまり測りようがないものなのに、ひとは良しとか悪しとか決めつけたがる。
確かにそうしないと社会が機能しなくなるのかもしれない。
ちょっとしたことでいい。
誰かの一生懸命、何かの一生懸命に気づけるひとでありたい。

母のこと。大嫌いで大好きだ。

ときめき

机の脇に置いていた水彩色鉛筆を久しぶりに使って絵を描いた。
描き上げるまでの過程は行きつ戻りつ。
でもその戸惑いと気づきの割合が徐々にいい按配になるにつれ、絵を描く喜びを感じ入る。
描きたいと思っているイメージが鉛筆や絵筆を通じて乗り移ってくれる瞬間が好きだ。
そしてほんの一瞬で崩れる儚い感覚も好きだ。
一昨日の平和学の学びに繋げてみたい。
言葉よりも絵を通じてものがたりを伝える技量を鍛えたい、磨きたいと思った。
絵本を作る。導きをいただいた。
一つの夢を抱き、持ち温めてゆきたいと思った今日。
夜の眠りの中の夢にどうか埋もれてしまいませんように。。

占い

未来のためにいまを懸命に生きる。
生きていてもほんとうにそれでいいのかどうかわからない。
今まで目をつむって耳を塞ぎ、
そして余計なことを言わずに生きてきた代償なのだろう。
勇敢でいるより恐怖がいつも付き纏っていた。
それでも振り返ると忘れられない声が聞こえてくる。
しばらく会えない人たちの声や温もり。
いつか会えるとき、はつらつとした姿でいたい。
だから、人生をあきらめたくない。
ひとりでいることの恐怖にのみこまれても。
呼吸ができないって思ったら、じぶんで居場所を見つけていのちを労ればいい。
そして夢をめちゃくちゃ描けばいい。少しでも前進して夢に近づけばいい。

久しぶりに占いをよんだ。これまでのこと、少しあたっている気がした。
これからのこと、いいこと書いてある。嬉しい。うそでもほんとうでも構わない。
まだいのちあるから、あるうちにがんばろう。ちからをもらった。

気持ち輝く

冷たい雨の一日。
午後から講演会を聴きに駒場まで出かけた。
二時には渋谷に着いていたのに、降りた駅、反対の改札を出たのが災いして、迷いに迷って会場に三時半到着。。

新しいテクノロジー? WEB3が、未来社会を変容させてゆく可能性ついてのお話を聞くことができた。

現実世界に置き換えてゆけばゆくほど、難しい社会的規制や要素、
そして人間の夢と希望と欲望などが絡んできて想像しきれない未来像だった。
テクノロジーをうまく活かして行けるのか、それともテクノロジーに縛られてしまうのか?
これまでの文化を守り、自律的な社会を生み出せるのか?
人間のこころはどのように変化してゆくのか?
善が先んじるのか、悪に操られるのか?

登壇者の伊藤先生が、英語と日本語で流暢に様々なケースを的確に正直に熱く語る姿がとても印象的で、
そしてそれに応える池上先生、茂木先生の議論のやりとり。気持ち輝いているお姿。
この熱い空気がインフルエンシャルになる。来てよかったって思った。

絵に描いた餅じゃなくて、すでに自分の知る村がNFTプロジェクトで活動していることもあり、
ものすごく興味を掻き立てられる。

リアルと仮想。人のあたまではなくて、こころは、からだはどのように反応してゆくのだろう。
話をもっとちゃんとわかりたい。ちゃんと勉強しよう。

ヤモリ

食卓並んでいるテーブルに、あれ?何かいる。目を凝らしてみた。ヤモリの子だ。
小さな身体に大きな手。まるでブローチみたい。
そのままって言うわけにいかないから、そっとティシュにくるんで捕まえた。
柔らかなティシュの間からちょこっと顔を出してきた。目が合った気がした。
やさしく手のひらで包んで、外の雑草の茂る土に放してやった。一安心。
でも、どうして、どうやってテーブルまでやって来たんだろう?
ヤモリは、守り神の役目をになっているって聞いたことあるし、気になってしまう。