なんでそうなるの

久しぶりの旅のチケット。新幹線のふたり分の座席をリクエストしたら、
三人掛けの席にふたりの席が自動で割り振られていた。
販売日のひと月前にお願いしているのに、なんで二人掛けに割り振ってくれないの?
高齢の母を連れてゆくから、なるべく気を煩わせたくないのに。なんでそうなるの?
変えてもらいたいと検索して見つけた窓口に電話したら、「宿泊先セットのチケットだから変更できません」と無下な返答。
「え?以前は窓口で対応してくれましたよ」と言葉を返したら、
「それはですね、つまり、その人情で対応していたわけで、今はその対応は行っていません」と。
「人情??」サービスは人情か。。口ポカン。
要するに、paper lessの次はpeople lessの試みを実施しているようでした。
旅の手配のサービスもこれからAIが担ってゆくのでしょうか。
人間がそしてAIのようになってゆくのでしょうか。
ちょっと薄寒くなった週末のムカムカぷんぷん。

曼珠沙華

無事、お医者さまから体調回復の確認をもらい、安堵の帰り道。
曼珠沙華が地上の花火のように、紅白のコンビで一気に花開かせていた。

お彼岸の花。
美しい、妖艶だな、でもやっぱり近寄り難い。
いつもそう思う。

そして、明日にはもう、この輝きは徐々に色褪せてゆく。
当たり前なのだけれど、二度とない出会いでもあるのだ。

なぜか心の中で、永遠と刹那が強烈に交差する。

それは人も同じなのだということを教えてくれているのか。
自分の身体も心も刻々と時を刻んでいるのだと実感した。

手遅れなことばかりに急いている。
夢抱いてきたことにもっと真剣に取り組まなくてはならない。

自信

もっと自信をもって話をすることができたら。
だったら、できるように練習すればいい。
自分を掘り出すのだな、出会うために。
時間は限られているから、彫り出すことに、出会うことに集中してゆけばいい。

シクシク

およそ4日前にこれまで経験したことない腹痛に見舞われた。
インターネットで症状を検索してみたものの、結局、それは憶測。
不安が募るばかりだからと、家族でお世話になっているお医者さんのところに行ってきた。

看護師さんが、的確な判断と処置を、不安のないように優しい会話を織り交ぜながら進めてくださる。
問診、触診、血液、検尿、レントゲン。。
約10分、検査結果を待って、先生がその詳細を検査数値と共に説明して下さる。
データ数値からどこも炎症など起こしている形跡なし、レントゲンに怪しい影もなし。
診断結果、どうやら胃腸が停滞気味とのこと。。
リモートワークの一種停滞気味の調和した日々による体調への皺寄せ。
けれども、とにかく深刻な病気に至っていないことがわかって、一安心。
今もまだシクシク痛みがあるけれど、不安に駆られることからは解放された。
約一週間、服薬しながら様子見することとなった。

それにしても、こういう体調不良に見舞われて、改めて健康の有難さに気づかされる。
身体的経験でやっと少しわかることができるのだ。
逆にいうと、具合の悪い人が苦しんでいたとしても、これまでほとんど相手の辛さをわかるはずもなく、
またその心境を思い測ることも大方は頭でっかちな想像に頼っている。

そして生きとし生けるものは、日々確実に朽ちている、つまり、死へと向かっているものだということをなぜか自覚した。
わたしも、幸いなるかな、漏れなくその一員。
そこから、これからの日々に思いを巡らし、夢と現実のはざまのなか、心に響くことばを信じて、明るい世界を想像する。
どんな時も、光と影は共に生息しているから。

わかりあう

今日、とあることについて思ったこと考えたことを送ってみたら、
それに対して、とてもしっかりと思ったこと考えたことのお返事を頂いた。
やさしさときびしさとが重なり合うような内容で、のんびりやの私には、
やはり異なるものの見方のようだけれど、
そういう物事に対する向き合い方をとても大切にしたい。
わかりあうってなんだろう。ものの見方が一致するようになるというより、
相互に違いがあることを受け入れて、そこから対話が始まって、
お互いに興味を抱けたら。

シスター

学生時代、どちらかというと苦手な存在だった。
卒業したのち、社会人となり、改めてシスターの話を伺う機会を頂くようになり、
神さまの存在について、教えていただくようになった。
とても自然な思いで、そのお話を受け止められるようになり、
だけれど、信者になるということとは違うという内なる問いが繰り返され、
その問いを重ねてゆく機会を与えてくださっていることに感謝なのです。

大変な務めをされておられるのに、静かな佇まい、優しい姿。
人のお話に耳を傾け、ユーモアを忘れず、それることなく、豊かな話を返して下さる。
時にはご自身の日々のご苦労も素直に話してくださる。
シスターと共にいると、静かに神さまの存在を聞き入れることができるのだ。

感謝の思いなのだ。
一歩前へ進まなくてはならないのだ。