口論

いつもわかっているはずなのに何かが引き金になって始まる。
感情を見ることを心がけていても、相対する人も同じであるとは限らない。
その矛先が思わぬ方角へ飛び出したら、収まりどころがなくなって飛散。
お互いもう散々だとわかっているのに、人間始めたら止まらない生き物みたい。
まるで紛失物のあてを捜す術のように、その火種がどこから生まれたのか。
もちろん相手が悪いというところから始めれば、それはそれで答えになるけれど。
相手の立場になって自分を捜索してみる。
これがいちばん難しくて、自分がいちばんみたくない、知りたくない、
けれど、きっといちばんおこなうべき内的行動なのだ。
相手も懸命だったのに、それを受け止められなかった自分。
寛容になることの難しさ、深さ。そこから得られるものは大きいはずだ。
夜が明けて朝を迎えて、気まずいながらお互い目があうなり、
深くお辞儀をしながら朝の挨拶。
そんなやりとりをこれ以上繰り返しませんように。
でもそうやって自分を教えてもらっているのだ。